学園

いのちの光

2017/06/01
いのちの光 『いのちは宝』

宗教センター長 池田 隆男

「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産によって はどうすることもできないからである。」 (ルカによる福音書 12:15)

私たちの欲望は泉のように次から次へと湧いてきます。あれも欲しい、これも欲しいと。もっとお金持ちになりたいと思います。お金があれば、欲しいものが自由に買え、人が持っていないもの手に入れることも出来、旅行にも行ける。好きなものを食べることができます。欲しいものが手に入った時には、一時的に幸せな気分になったり優越感に浸ったりします。そしてまた次の物が欲しくなります。そうして欲望は際限なく拡大していきます。
今月の聖句には「貪欲に注意をしなさい」、「用心しなさい」と言っています。お金を儲けや物質的裕福になることが悪いことだとは言っていません。注意をしなさいと言っています。
しかし一方ではお金があれば長生きできると約束されているわけではありませんし、また貧しいから長く生きられないということでもありません。
日野原重明さんという医師を知っている人は多いと思います。100歳を超えて今もなお現役の医師として活躍しておられます。日野原先生は「いのち」について次のように語っておられます。
「いのち」は「時間」です。生きている時間のことだと言っています。そしてその時間は誰もが平等にもっています。日本人の平均寿命は現在80歳を超えていますが、個人差はあっても永遠に生きることは出来ません。有限です。
時間として「いのち」をどのように使うかは「どのように生きるか」ということを意味します。自分の楽しみのために使うのも、人を喜ばせるために使うのも、また無意味に過すもの個人の意志に沿ったものとなり自由です。
日野原重明先生は「いのち」は自分のためだけではなく、人のためにどれだけ使うかが「いのち」の価値・質につながるといっています。それぞれに与えられている「いのち」はかけがえのないものです。「いのち」を輝かせるという言葉がありますが、どのようにしたら「生き方」を輝かせることができるのでしょうか、考えてみましょう。
私たちの現代社会は世界中の出来事がニュースとして直ちに入ってきます。戦争や自然災害で多くの方々が亡くなっています。また、政治的な混乱や紛争で難民生活を余儀なくされている人たち、飢餓のために苦しんでいる人がいて「いのち」の存在を脅かされている人などさまざまなことが情報として入ってきます。
「いのち」について、「時間」について、「平和」について、この3つはそれぞれが別のようですが深く関係し合っています。「いのち」を大切にすることは、「時間」を大切にすることですし、「いのち」を他者のために使うことは平和に繋がります。
こんなことを考えても一人一人のできる事は限られています。しかし、できる事は何かある筈です。身の回りで出来る事を見つけ些細なことでも行動に移しましょう。

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