中学校聖書科主任 大門 耕平
強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
(旧約 申命記31:6)
新しい年、2019年を迎えました。今年がみなさまにとって、豊かな学びと大きな成長、深い交わりがあることをお祈りいたします。
さて、新年を迎えると、いろいろなところで、「新しい」という言葉を目にします。「新しい年」、「新しい時代」、「新しい決意」、「新しい気持ち」・・・。My Wacoal (2011)の調査によると、日本では、41%の方が、お正月を「新しい下着」で迎えるのだそうです。新調する理由の「福がきそうな気がするので」「HAPPYオーラをまとって新年のスタートです」「心も体も引き締めるために毎年買います」、「31日の夜お風呂に入ってから新しい下着に着替えます。良い初夢が見られそうで」や「大晦日、枕元に新しい下着を置いて寝る」などの回答には、日本古来の美意識、宗教観があるといえるかもしれません。
聖書にも「新しい」という言葉が出てきます。聖書では「新しい」は、2つの意味で使われています。一つは、時の流れによって自然と古びていってしまう「新しさ」です。「新しいぶどう酒は、新しい革袋にいれるのだ」(マタイ9:17)という言葉にあるように、時間が経つと古びてしまうという特性を含む「新しい」という言葉です。
もう一つは、質的な「新しさ」を示す言葉です。聖書では、「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5:17)で使われており、これは、質的な新しさであり、永遠に続くものを示しています。時間とともに古びないものであり、いつまでも「新しい」状態で残るものです。パウロは、この「新しいもの」が、イエス・キリストであると伝えています。いつまでも古びない、永遠に続くものとして、イエス・キリストを位置付けています。
ヴォーリズ学園にとってのヴォーリズ先生の言葉や行動、またこの学園に関わられた方々の言葉や行動は、後者の意味を持つ「新しいもの」であります。100年が経って古くなってしまうものではなく、100年経ってもなお、「新しい」ものとして、私たちを導き、支えてくれるものです。私たちは、先達の言葉や行動をこのような理解で大切にしていきたいと思います。
新年を迎えた今、新しいこころざしを携えていることだと思います。どうぞそのこころざしを、時間とともに古くなるものとしてではなく、永遠に続くものとして、持ち続けてもらいたいと願います。