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2015/12/26
第5回東北ボランティアプログラム

4年9ヶ月という時間

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第5回東北ボランティアプログラムを今年度は12月23日から26日で行いました。
昨年まで訪れていた宮城県南三陸町でのボランティア活動から趣向を変えて、今回は日本キリスト教団東北教区センター「エマオ」を窓口にプログラムを実施させていただきました。
エマオは「スローワーク=出会い」と「お祈り」を大切に活動を積み重ねてこられました。効率性よりも、被災された方々との信頼関係を大切にされてこられた活動は私たちにたくさんの学び与えてくださいました。
13名の生徒は、4年9ヶ月という時間が経過した被災地を訪れ、直接“見て”、“話して”、“感じて”、“考えて”を体験することが出来ました。様々な思いでプログラムに参加し、それぞれの心で受け止め、次のアクションへと繋げてくれると信じています。

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~参加生徒の感想~
★「被災者のキモチ」 アバンダントクラス M・T君
2日間に渡り宮城県仙台市にボランティアに行きました。
 僕がボランティアに行った理由は、今の被災地の現状を知るためです。また、去年も宮城県の南三陸町のボランティアに行ったので今年も改めて自分にできることは何かということも考えました。
2日間はあっという間に過ぎた時間でしたが当時の3.11の状況について詳しく聞くことができました。
ボランティアをした中で印象に残っていることが主に2つあります。
 一つ目は、仮設住宅の現状についてです。仮設住宅には退去期限が近づいているも尚、仮設を離れられない人がいます。経済的に困難な方、体が不自由など何らかの障害を持っている方、もともと住んでいた場所に戻りたいと強く願う方など様々な方がいます。また仮設から公営住宅に移転しても仕事や学校で家に自分以外の家族が誰もいない状態が続いたりすることも多く孤独を感じる時間が多くなってしまい仮設に戻りたいと言う人までいます。
 仮設に住む人はこれ以上増えることはなく減るばかりなので最後の1人になるのではないかと今も仮設に住む人は不安を抱いています。
 仮設にいても仮設から出ても孤立を感じてしまうのでとても難しい問題なのだと感じました。県や市町村は公営住宅を勧めたり退去期限を定めたりと急かすようなことをしますが、個々のペースで納得した決断ができるまでゆっくりと考えて頂きたいですし、孤立、孤独を感じさせない環境作りや配慮が必要だなと思いました。
 二つ目は3.11の被害状況と現状です。東日本大震災は地震+津波+原発の3つの災害から起きた複合災害と言い予想を遥かに超える被害でした。
そして仙台市は全域が被害にあったわけではなく、海から3,4km離れた高速道路の手前側だけが被害にあっていました。その高速道路を超えるとごくごく普通も街並みで、本当にここで震災が起きたのかと疑問に思うほどです。
しかし高速道路の手前側の景色は一変。最初は畑かと思いました。が、そこにはもともと住宅や店舗が立ち並んでいたということでした。辺り一面、平坦な土地です。一歩出れば被災地という非日常、一歩出れば日常というのが何とももどかしい気持ちになりました。
 現地の人の話を聞いたところ、津波自体が家やお店や車を潰したわけでは決してなく、海の高さは約2mと高いので大抵の物は浮きます。そして浮いた車は波に流され縦横無尽に動き回り、そのまま人にぶつかったり、車が車を押したり、車が家にぶつかったたりしてどんどんと物が物を押し流していったとおしゃっていました。また、海から来た津波だけでなく高速道路で跳ね返って来る津波もあり津波が行ったり来たりを繰り返していたらしいです。これを聞いて背筋がゾッとしました。
 被災者の気持ちは被災者にしかわからずニュースやインターネットを見てもわかりません。しかし今回、被災地に実際に訪れてみて少しは被災者の立場になって考えられたと思います。このことを自分の周りの人に伝えていって1人でも多くの人が東日本大震災のことを知り、忘れないようにしたいです。また定期的に被災地を訪れて少しでも被災者、被災地に寄り添いたいです。
このようなことが復興に繋がっていくのかもしれません。

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★グローバルクラス M・Hさん
「海は嫌い。海が憎い。」昨年ボランティアで行った宮城で出会ったおばあさんのことばである。永年漁を主体として生きてきた人からのこの言葉が、今まで感じた事のないような衝撃を与え、私の胸を締め付けた。想像してもしきれない大変つらい思いをされたこと、震災から約四年経っても人にも町にも復興と言う文字が見えにくいという事を知った。また、ボランティアは自分が何かをしに行くという気持ちではなく、させていただくという気持ちがとても大切だということを学んだ。そして多くの方から、今ある日常は特別なものだという事、ふるさとを大切にしてほしいという事、震災を忘れないでほしいという事を皆に伝えてほしいというメッセージをもらった。
 そして、今年はこれらの学びを通して自分の出来ることをしたいと思い再び宮城に向った。
 ワークショップでは前回よりもより踏み込んだ内容で現地の現状や課題、今も仮設住宅で暮らしている方々の思いの深さを感じた。復帰できる人、そうでなく残る人、特に「自分が仮設を離れる最後の一人になってしまうのではないか」という不安は人とのつながりの崩壊のやりきれなさを訴える。「私達はコミュニティが3回崩壊している。一回目は津波が起こったとき、二回目はふるさとを離れるとき、三回目は仮設を離れるとき。」は私の心に強く刺さった。大きな災害の後ほど求める人とのつながりを復興の名のもとに踏みにじってはならないと思った。
 私達はどうしても災害が起こったその時に目がいってしまいがちである。だが、その後を知る事もとても大切で沢山の方に知ってもらいたいと思った。また、知らないということが信憑性の低い話を信じ込ませたり、勝手な思い込みから誤解を生じさせることがある。知らないがために相手を傷つけてしまうこともある。知らない怖さを知り、正しい情報を得るには、常に社会に関心を向け、自分の目で確かめることが重要であるのではないかと感じた。そして、自分が感じたこと知ったことを沢山の人に伝えることが、現地に行き経験した者としての一つの役割なのではないかと改めて思った。
  いま復旧作業が行われている地域では、盛り土をして土地を上げる作業をしている。予定では完成まであと三、四年かかるらしい。しかし、建物が建てられるまでに約十年もかかることから、当時はふるさとに戻ってきて暮らしたいと思っていた人も新しい生活をスタートさせている。そして、戻りたくても戻れないという状況が起こるため、果たして一体どの位の人が戻ってくるのかという不安が生じている。そして人が住めるようになるためには病院や学校の建設も必要になり、さらに時間がかかるという問題もあるそうだ。
 ふるさとに戻りたいと思っている人は同じ地域の人達とまた同じ生活をしたいと願っている。しかし、復興と言っても以前のように元どおりになるわけではない。復興とは何なのか、今回のボランティアを通して強く思った。そしてその疑問を問い続けながら、これからも東北でボランティアに参加しつづけたい。

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★グローバルクラス H・Tさん
今回、東北ボランティアに参加して、本当に沢山の事を学ぶことができました。2016年3月11日で5年が経とうとしているこの時に、現地に行き、現地の人達のお話を聞いて、今の現状を改めて確認できた2日間でした。
この2日間の活動の中で、特に私の思いに残っていることは2つあります。
 1つ目は、被災された方の中には、孤独の中で苦しんでいる方がいるということです。住み慣れた場所が津波の被害にあい、そこに住んでいた人達はひとまず、仮設住宅に身を置かれました。その後、みなさんはそれぞれ、散り散りに復興住宅に移り住まれました。復興住宅に移り住まれた方々は、慣れない場所、慣れない人の中で不安な生活を送られました。特に、高齢の方々は、日中、しんとした家の中で一人で過ごされていて、孤独に感じることが多いということでした。このような方々を支え、温かく見守っていくことがボランティアの役割だと強く感じました。ボランティア活動というのは、ただ単に被災地の復興を目指し、効率性・速さを重視するのではなく、被災された方々の心の状態や気持ちをしっかり理解する事が活動するにあたって1番大切だということを知りました。
 2つ目は、伝えていくことの大切さです。私達は、2日目に、農家のお手伝いや、子供達のクリスマス会のお手伝いをしました。私は、みつ子さんという農家の方のお手伝いに行きました。みつ子さんはお昼から用事があったので、一緒に居られる時間が短かったので、残念でしたが、作業中や休憩中に震災の時の話をされました。このお話の中で1番印象に残っている事は、津波の警報が出ていたり、避難を呼び掛けている人がいたにも関わらず、避難しなかった人がいたという話です。何とか、家の2階に上がって助かった人も居ましたが、助からなかった人も沢山いたそうです。また、中学校の校舎に避難したけれども、3階へ上がる途中の階段で流された人もいるそうです。私は、なぜ警報があったにも関わらず、避難しなかったのかと考えました。それは、今までにこれまで大きな津波が来たことがなかったからなのか、津波の誤報があったからなのかなど、色々考えました。しかし、その当時の事を今考えても過去は変えられないと思いました。また、同じような事がいつどこで起きるか分かりません。東日本大震災を伝えていくということは、次、同じようなことが起こった時の教訓になるのではないかと思います。なので、東日本大震災の事を忘れてはいけないと思いました。
 被災地の復興、被災された方への支援をこれからもできる限りは、協力していきたいと思います。また、被災地の現状を周りの人に伝えていきたいと強く感じることが出来た2日間でした。

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★国際コミュニケーションクラス K・Fさん
わたしは今回で二回目となるボランティア活動を経験しました。
昨年は南三陸町を訪れ、農地にするための土地の整備、ビニールハウスの掃除や地域の方々とクリスマスパーティなどの活動をしました。そのときは、ボランティアに行ってよかった、自分の目で震災のことを知れてよかった、といういたって普通の感想しか自分の中から出てきませんでした。
しかし今回は、前回よりも深い感情が自分の中で生まれました。仙台についた日にワークとして、柴田さんというエマオのスタッフの方が仮設住宅や実際に被害にあった現場などを一つひとつ丁寧に案内してくださいました。そのときに訪れた被災した老人ホームは、震災当時のまま残されていました。津波の影響で割れた窓ガラス、津波と共に流されたとみられる船、壁についた津波の深さを示す泥の線。
そこには80名のうち70名の方が命を落とされたそうです。中に入ったとき、心臓がバクバクして言葉も出ませんでした。そこでみた一つひとつの光景は、わたしの脳裏に焼きついています。
荒浜の町が一望できる場所にもいきました。その町は震災前にはたくさんの家や会社がありましたが、今は盛り土の工事がされていてなにもありません。そこで柴田さんが話してくださった内容がわたしの中でとても印象的でした。「市はここをあと3年で工事を完了させる計画を立てている。しかしそれはただ土地ができただけで、人が住むにはまだまだ時間がかかる。以前ここに住んでいた人たちはそのとき戻ってきてくれるのか?新しい場所での生活に慣れて、戻ってこないかもしれないんじゃないのか?」わたしはそこで、”復興”というのは町が元どおりになることだけを意味するのではないと知りました。荒浜では震災後、人が住むには危険だと判断された場所もあり、帰りたくても帰れない人たちがたくさんいます。仮設住宅では、楽して生活するためにわざと住み続けていると差別を受けている人がいます。いくら町がどんどん復興していったとしても、被災者の方々の心の復興はまだまだ時間がかかると思います。エマオの方々は、人とのつながりをとても大切にしていらっしゃいます。仮設にいる人がいなくなるまで通い続けるともおっしゃっていました。そのように一人ひとりを大切にすることで、信頼関係ができると共に人々の心のケアにもつながります。
私はまず、いま生きていること、当たり前の生活を送れていることに感謝をし、被災地に足を運ぶという経験を積み重ねて自分の考えをより深いものにしていきたいです。そして、本当の意味での”復興”を完了させるために行動したいです。

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