*今回は、私も「心のなかの父へのラブレター」を書きました。参加してくれた生徒のみなさんの前で静かに読みました。
【心のなかの父へ】
あなたが逝ってしまったとき、私はまだ40歳、あなたはまだ65歳でした。孫たちの成長ぶりを、ひ孫たちの成長ぶりを、目を細めてもう少し見てほしかったです。私たちの人生も、見届けてほしかったです。 ちゃんと「ありがとう」も言えないままで、あなたは逝ってしまいました。「ごめんなさいとありがとう」を伝えたいのです。
12月年末のあの日、私はスキー学習の下見で、息子を連れて同僚と一緒に信州の志賀高原に行っていました。その日の朝つらくなったあなたは、私に連絡しようかという周囲を遮って「仕事に行ってるから呼ばんでいい」と言ったと聞きました。呼んでくれたら、飛んで帰ったのに。
ゲレンデに流れる放送「春日井先生、すぐに本部にお戻りください」で、私は事態を直感しました。雪道をホテルの社長さんが駅まで送ってくださいました。まだ小学生だった息子と一緒に、特急しなのに飛び乗って岐阜に帰りました。途中、お昼の駅弁を買ったのですが、二人とも喉を通りませんでした。あの日のことを、息子もよく覚えていて、時々「じいちゃんと~した」と、あなたのことを話してくれます。
あれから数年して、私は母校の立命館大学にご縁を得て、中学校から異動することになりました。そのときの私には自信もなく、迷いながらいつも心のなかで見守ってくれているあなたに相談しました。あなたは、ニコリと笑って「迷ってるんだったらやってみろ」と背中を優しく押してくれました。何か相談したときの私の心のなかのあなたは、いつもそんなふうでした。
あれからもう32年が過ぎました。私はもう72歳、あなたはもう97歳になりましたね。あなたの生きた人生を超えて生きることが、一つの親孝行だと思ってきましたが、それもいつの間にか過ぎました。
息子からは、孫たちに対して「じいちゃんもばあちゃんも、いつまで元気でいるかわからんから、ちゃんと今を覚えとけよ」なんて言われるようになりました。あの頃のあなたが、孫たちのことや私たちのことをどんなふうに思ってくれていたのか、少しわかるようになりました。
あなたが私にしてくれたように、「迷ってるんだったらやってみろ」と、私も子どもや孫たちに対してして、優しく背中を押せてるだろうかと、時々あなたのことを思います。これからもずっと、私の心のなかで私たちを見守っててください。
2025.11.11 春日井敏之